水の都ヴェネツィア
サンタ・ルチア駅を出た瞬間、目の前に広がっていたのは 道路ではなく運河。
車やバスの代わりに、ゴンドラや水上バスが当たり前のように行き交っていました。
“駅前”なのに、まったく別の世界。

駅の様子を撮りたくて、サンタ・ルチア駅を出てすぐ左手にある スカルツィ橋へ。
少し高いところから見ると、駅と運河、水上バスの乗り場、行き交う人々——
ヴェネツィアでは道路の代わりに水路が走り、車の代わりに船が行き交う。

チェックインにはまだ少し早かったので、荷物はコインロッカーに預けて、まずは街歩きへ。
ふらりと入った裏路地はいきなりこの景色。
細い運河をゴンドラがゆっくり進み、古い建物はまるで映画のセット。
「あぁ、ヴェネツィアに来たんだな」と実感しました。

急に橋が現れたり、アップダウンもあり、道が細くなったりと迷子になりそう。

そして角を曲がった瞬間、仮面だらけのお店が現れる。

曲がるたびに雰囲気が変わるヴェネツィア。
細い路地でも、お構いなしに椅子を並べてワインを楽しむ人たち。
この自由さ、いいですね。

暑さで喉もカラカラ。
歩き疲れたタイミングで、ちょっとした広場にテラスでいい感じのお店を発見。
迷うことなく腰を下ろして、まずは冷えたプロセッコとヴェネツィア名物の“チケッティ”をいただきながらひと休み。


気ままに歩いて、喉が乾いたら気に入った店に入り、プロセッコやビールを流し込む。
なんて最高なんだろう。。。
さて、コインロッカーから荷物を受け取り、宿へ向かいます。
地図で見ると歩ける距離ではあるのですが、道は石畳、橋がたくさんあり階段も多く、キャリーケースを引きながら歩くにはムリムリ。
駅の前のボート乗り場まで戻り、水上バスで宿の近くまで移動することにしました。

グーグルマップを片手に歩き始めたものの、住所と宿がどうにも一致しないらしい…宿担当の相方さん、真剣な表情で奮闘中。
石畳に運河に掛かる橋の階段を行ったり来たりと迷子になりながら、なんとか到着しました。

夜のヴェネツィア
宿で一休みした後は、黄昏時から夜のヴェネツィア散歩。

灯りのにじむ路地で、ワイン片手に笑い、ワンコは足元で眠る。
どこを切り取っても絵になる。

OSTERIA
イタリア語”osteria”(オステリア)は、庶民的な!”居酒屋”や”大衆食堂”を意味するそうです。
なんて洒落てるんでしょうか。。。

立ち飲みは厳しいので、雰囲気の良い”座れる”OSTERIAを見つけ、とりあえず”プロセッコ”
ここでもチケッティーと肉団子みたいな小さなメニューがあってちょうど良かった。


余談ですが、ここには“亡霊ツアー”という夜の散策ツアーがあるそうです。
この灯りと静けさを歩いていると、機会があれば参加してみたいな思いました。
ブラーノ島へ
翌朝は少し早起きして、ブラーノ島へ向かうことにしました。
水上バスに揺られて移動するだけで、旅気分が盛り上がります。

ブラーノ島に着くと、まず目に飛び込んでくるのは、このカラフルな家々。
まるで絵本の中に迷い込んだような景色で、歩くだけで気分が上がります。

ただ歩いているだけなのに、楽しい。
同じイタリアなのに別世界。

カラフルな島・ブラーノを後にし、ヴェネツィアへ戻りました。
乗り場が見えてくると、第二ラウンドがまた始まるような気がしました。

遅めのランチを探して裏路地へ。
昼間なのに静かで、パブの看板と行き交う人たちがやけに絵になる。

イカ墨料理で有名な Cà D’oro alla Vedova。
ラッキーな事にすぐ入店でき、料理の前に、まずはプロセッコでひと息。

ヴェネツィアの漁師たちは、獲ったイカを余すことなく使う知恵から、墨もまたソースとして生かされてきたといいます。
シチリアも有名らしいですね。

アドリア海の海の幸の旨味が、ぎゅっと詰まった一皿でした。とても美味しかったです。
ドゥカーレ宮殿
イカ墨パスタの後は、サン・マルコ広場へ。
ヴェネツィア共和国の歴史と権力を象徴するドゥカーレ宮殿。
入場は長蛇の列、チケットは取っていなかったので断念しました。

サン・マルコの鐘楼
ドゥカーレ宮殿のすぐ横に立つ、サン・マルコの鐘楼。
どうやって登るのか入り口の人に聞いてみるとまずオンラインでチケットをゲットして、QRコードを見せてと。
なるほど、空いていたのですぐ登ることができた。
ジョットの鐘楼のように階段ではなく、エレベーターでよかった笑

鐘楼の上から、赤い屋根がぎっしりと連なるヴェネツィア。

ドゥカーレ宮殿の屋根とアドリア海。

すると突然、鐘が鳴りました。
ヴェネツィアの街に何かを知らせる鐘を聞けて、海外に来てるんだなあと実感。

いよいよゴンドラ
事前に多少は調べていたものの、最終的には「現地で決めよう」と思っていました。
コースがたくさんあり、リアルト橋の方から乗るか、どの乗り場からがいいかよくわからなかったからです。
相場は80ユーロと書いてある記事が多かったのですが、実際には90ユーロが主流でした。
迷いながらも「ため息橋」は外したくなかったので、サン・マルコ広場周辺で探すことに。

すると、ノリの良いゴンドリエーレ(ゴンドラを操る人)が声をかけてきた。
Googleマップを見せながら「ため息橋は行くのか?」と聞くと、150ユーロ(確か1時間)だという。
……高すぎる。
完全にボラれてる、くそー、足元見やがって。
一度断って他を探し始めると、後ろからまた声がかかる。
「120ユーロでどうだ?」(確か40分で)
それだって夜の値段だろっとちょっと知ってたので一人呟き。
でも時間ももったいないし、きっと他も同じだろうと即決。
はい、しっかりボラれて乗りました(笑)
でも、後悔はしていません。

大きな運河に出るとドゥカーレ宮殿を左に曲がるとすぐに、あの有名な”ため息橋”が見えて来ました。
いい歳したおじさんは、ワクワクが止まりませんでした。

ゆっくりと奥へ入っていくとだんだん狭くなってきて、急に教会や裏の水路からの乗り場がちらほら見えてきたり。

狭い水路を、みんな違うデザインのゴンドラとすれ違う。
ゆらりゆらりと、いくつもの小さな橋をくぐっていく。
楽しい。

これは、冷蔵庫を新調したのか?!
ヴェネツィアでは、やはり輸送手段はボート。
この街で暮らす人たちの“地元の生活”が妙に印象に残った。

念願のため息橋。
ユーロは高くてため息ついちゃう。

戻って来ました、サン・マルコ広場。

ボラれたけど、なんだかんだと言ってもサービスもよく、ゴンドラも豪華で、本当に40分くらいの夢の時間が流れました。
ヴェネツィアのゴンドラ体験、一生の思い出になり、とっても楽しかった。
なので後悔しませんでした笑

リトルロマンス 1979年
16,7歳の時に見た映画がうすら覚えていて、密かに憧れていた”ため息橋”。
この歳になって間近にみるなんて。
この頃、小さな恋のメロディーもマイブームでした。
007ムーンレイカー
007シリーズでもよくでてきました、ヴェネツィア。
インディージョーンズ3作目最後の聖戦/1989年
何回見ても飽きないインディージョーンズ。
行く前は映画、行った後は記憶。
007カジノロワイヤル/2006年
ダニエル・クレイグに変わってからの007。
しばらく見てなかったのでもう一回見たい。
フェリー乗り場からサンタ・ルチーア駅へ
さて、楽しいゴンドラで締めくくったヴェネツィア滞在。
翌朝は早朝のフェリーでサンタ・ルチーア駅へ向かいます。
6:30発のイタロに乗るため、フェリーは始発の5:14。
乗り場はAが手前、橋を渡った先にB・C・Dといくつもあり、
今となっては分かりますが、現地だと案内も少なくなかなかの難易度。
Googleマップに導かれて辿り着いたのはA乗り場。
そこで待っているうちに、ふと前日の「ブラーノ行き」が頭をよぎりました。
嫌な予感がして、慌てて橋を渡りB乗り場へ。
電光掲示板を見上げると、
──こっちだ!
夜明け前からスーツケース引っ張っての全力疾走。
少しバタつきましたが、なんとか間に合いました(ほっ)。

無事、辿り着きました、夜明け前のサンタ・ルチーア駅前。
楽しかったなぁー、水の都ヴェネツィア。
後ろ髪引かれながら見納めのヴェネツィアの景色の見納め。

電光掲示板を見張っていないと乗り場が分からないシステムにも、この頃にはだいぶ慣れてきていた。──はずだった。
相変わらず駅には係員は居ない。
発車10分前になっても表示がなく、ようやく表示されたと思ったら、一緒に待っている数組の観光客と、何となく目が合う。
入り口が開かないんです「どこからホームに行くんだ?」全員が同じ不安を共有している空気。
その時、誰かが、ふいに赤いテープをまたいで中へ入っていった。
一瞬の沈黙のあと、「行くの? 行っていいの?」という視線が交錯し、次の瞬間、みんな照れ笑いを浮かべながら後に続く。
結果、全員無事イタロに乗車。
何のアナウンスもなく、正解も分からないまま進むこの感じ。
これぞイタリア七不思議(笑)

無事にイタロ乗れました。
行き先は、最終日のミラノ・・・続く。




